まずお詫びから。ものすごい遅くなってすみませんっっっ!!!m(_ _;)m
Pressballのキリエンカインタビュー記事関連エントリ第2回めです(;・∀・)。
別の記事ソースによるとこのインタビューはSkypeを通して行われた様子。なかなかインタビューを取れる時間がなかったみたいで、Pressball側も大変だったみたいです(^_^;)。
*第1回めは
こちら。
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○世界選と体制について
-オリンピックと世界選では装備面に問題があったことを多く語っていましたが
体制についてはね…なんて言ったらいいかほんとうにわからないね。残念だ!僕自身とても喜べなかったんだ。実際、ベラルーシ人はね、良いチームを追って(出て)行く。そして戻るといったように、サイクリングからは"離れ"られないんだ。またこんなこともある:もしよく知られている体制についての関係についてわかっているなら、またもしナショナルチームジャージがイランやハンガリーに似ていたとしても、ここで"強調"もされるべき。いつだって僕らは鹿ではなく(後ろにくっつくこと?)、さりげなく前にいることを証明しなきゃいけない。ここでは両方の国のイメージもなくなるだろうし、形も全く特徴がないものになる。
ところで、取り組み方についてなんだけど…僕はソックスやグローブさえも持ってなかったのさ。そしてもし雨が降り始めたなら僕はどこに行けばいいのかもわからなかった。寒い天気の場合でも何も支給されなかったんだからね。
-あなたは山岳レーサー、そしてTTスペシャリストになるために体重を減らし、そして結果を出して来たと言いましたね。ロード世界選手権ではエリートクラスでは初のベラルーシ人選手の入賞者になりました。
"ツール"の後、僕は状態が良くなかった。加えてアレルギーもあった。家族がバルセロナに来てくれた。僕は妻と子供たちと共にウォーターパークで一日を過ごした。太陽が照りつける中、僕は身体をさらして水をかけた。十分快適だったよ。概して、オリンピックではベストの状態を見せることには失敗した。僕はロードは下手ではないだろうとはいえ、12位-平凡な記録だった。でも、世界選手権では再構築して、良い準備ができた。レースまでの期間は短かったしね。”モビスター”はプロツアーポイントを更に取る必要の重要性ってのがそんなになかった。来年のためのチーム内の個人の立場が重要。そして普通は必要じゃないレースに派遣される。僕に起こったようにね。世界選手権の後、家族でスペインからベラルーシまで車で走った。旅の途中ではパリにいったり、イタリアのコースチャ・シウトソウのところを訪れたりもした。僕は10日間ほど自転車に触ってなかった。スペインに来た時、僕は言ったね「明日はレースがある。僕は”空っぽ”で何も見せるものはないが、できないことはない」。そして、始まって、終わったのさ。
-世界選手権の前日に戻りますが
ちょうど足の調子も強さが戻ってきたところだった。この4年間、TTについてしっかりやってなかったから、練習をやるべきだと思ったんだよ。これをこなすために、僕は車を運転してベラルーシに向かった。スペインではそんなことできないからね。士気もプラスされたのも重要だった。これらの練習は9月に始めた。僕の娘を学校に送り届ける機会がカレンダーに出てくるのはとても嬉しかったね。計画は続けられた。誰も僕に何もしてくれなかったよ。ベラルーシでは僕はコーチがいないんでね。僕の最初のトレーナーでもあったKharitonovだけが手伝ってくれた。
賞を取るために-そして同時に多くの父親の成功を呼び込むことは意味あること。ああ、それはすでに他の問題かな。
端的に、マシーンは上手く動いてくれた。スペインに戻ってきたのは世界選手権の1週間前。ここの山で更に練習をして強化した。そして、世界選に行った。チームレースは僕にとって良いTTだった。良い気分だったよ。マッサージセラピストや僕のマネージャーは僕が成功することを予言していた。エウセビオ・ウンスエはこういったテキストメッセージを送ってくれた”君はトップ3に入るだろう。水が見えるようにだ。
○直感力と訓練について
-ウンスエと働いてみてどうでしたか?
特にモビスターにアプローチするとしたら、例えば、スカイでは最初、明らかにわかったのが:人々が働いている!チームウンスエは違う。しかし、マネージャーは”眼”、特別な直感力を持っている。そして何度も彼はそれを言っている。例えば、ブエルタの時だ。最初の週にバルベルデが落車して、追いかけたけれども他の有力選手と1分ぐらい差ができてしまった。普通はパニックに近い状態だったと思う。ウンスエは彼に根気強く待つように言った。-何もかもが普通になるだろうし、賞を取れるだろうと。その結果、バルベルデは2位でフィニッシュしたんだ。
-スカイではより多くの訓練があるのですか?
いや、でもイギリス人は同時には寝ないよ。しかしながらすべてのトレーニングが規則化されている。それでもいつも規則は当てはまらない。昨年、ツールでは目的に適合されたグループが参加した。他のチームでも更にそうだ。でもリーダーシップについては結果を与え、中心のグループ選手の多くを利用することを決める方法としてははっきりしていた。注意し、警戒する。悪い言葉の認識はない。同等のトレーニング、テスト、計画。それが努力であることを見いだすんだ。それが僕を助けてくれると望んでいるよ
-あなたはキャリアを続けるために、いくつ選択肢を持っていましたか?
最初はモビスターに残留する予定だった。でも思ったんだ、たぶんこのままとどまっているうちに、何かどこかでモチベーションが足りなくなるのではないか-何かを変える必要がある、とね。ツールが始まる前、サクソバンクの後見人でもあるオレグ・ティンコフと話をした。彼はプロジェクトに招待するために呼んだんだ。僕の代理人とビャルヌ・リースとの間で会談が行われた。しかしながら、デンマーク人(リース)は僕がツールに出場することについては全く喜ばなかったんだ。結果的にサクソバンクには僕としては進歩できる環境が投げ捨てられるように思った。立場的に、同じ事を言うようなもの。そしてその時、僕にあった選択肢だったのがスカイだった。
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なんとか、ここまで訳すことができました(;・∀・)。
毎度ながら雑な訳し方で申し訳ありません。
ロンドン五輪のTTの時、彼のヘルメットがロゴは消されていましたがモビスターのメットのままで「あれ?」とは思ったんですが、ユニフォーム以外は支給されていなかったのですね。(後で確認したらRRのメットもそうだった)色々とベラルーシ車連への対応について彼なりの不満が大きく溜まっているように見受けられました。
「さりげなく前にいることもアピールしなきゃいけない」ってところは、あのRR序盤の謎の先頭牽きやってたのと関係なくはなさそうな気もする。彼なりに何かやらなければ、という思いから来たアクションだと信じたいところ。
そして世界選。ベラルーシで事前にこなしたトレーニングのこと、ウンスエさんから届けられた自身がトップ3に入るだろうという予言めいたメッセージのこと…。点と線が1つになり、サプライズの銅メダルに繋がったんですね。
そしてそのウンスエさんには直感力を備えた”眼”がある、とキリエンカは評していますが、それは頷けるかもしれない。バルベルデが総合優勝したブエルタの時にも、ウンスエさんは同じように徹底的に時が来るまで待つように彼に言い続けていたエピソードがあった記憶がある。あの時もバルベルデが総合優勝するだろうと直感してただろうしね。
移籍交渉の件では、サクソバンクとも話し合いをしたけれども、ツール出場のオプションについてリースさんが首を縦に振らなかったことが主な要因として契約には至らなかった様子。オレグさんはかなり彼を買っていて、リースさんにも彼を獲得するよう進言した話は出ていたが、そのニュースが出た直後ぐらいに恐らく話し合いが行われたとおもわれます。その後、彼自身がフィットしていると感じていたSkyを次なるステップの選択肢に選ぶ決断を下したようですね。その決断が正しかったかどうかは、これからわかっていくでしょう。
インタビューを訳しはじめた時に3回ぐらいに分けようと思ったんですが、後もう2回ほどに分けたほうがよさそうなので、もうちょっと時間がかかりますが、お待ちくださいませ(^_^;)。
ドーフィネも今日から始まりました。キリエンカのアシストを応援しながら続き頑張って訳します(;・∀・)。
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